自由が丘、溝の口、関内、青葉台にあるメンズにオススメの
理容室・美容室・ヘアサロンならKEEN。

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KEEN'S
PROCESS

KEENが出来るまでの道のりと
KEENへの想いを綴ったストーリーです。

「全国大会~福井大会3~」

表彰式がやってきました。すぐ横には師匠の田中トシオ先生がおり、先生から貸してもらっていた師匠が世界チャンピオンになったときのお守りを、ずっと握っていました。そして第一部門の発表が終わり、とうとう第二部門です(倉田が出場している部門)。まず敢闘賞から呼ばれ、残るはあと3人。去年の全国大会の帰りに空港でばったり会い「来年も一緒に全国大会に来よう」と誓った神奈川の選手と、もうひとりも神奈川の選手。この2人は、この時いい作品を作っており、最後に呼ばれろとおもっていました。

第3位「神奈川代表・・・」

第2位「神奈川代表・・・」

でも最後までわかりません。もしかしたら自分ではなく、他の人かもしれないのです。

優勝は「東京代表・倉田和俊!!!!」

その瞬間、隣りにいた先生と抱き合いました。生まれてはじめて一番になれた瞬間でした。とても大変であった3年間が走馬灯のように駆け巡るのでした。辛いこと、嬉しいこと、すべてのことが喜びにかわる瞬間でした。いろいろな人の祝福、去年とは違う表彰台の高さ、そこから見る観客席、スタッフがみんな喜んでくれて胴上げしてくれました。今ここにいるのはまさしく師匠の田中先生をはじめ、スタッフ、モデルさん、いろいろな人たちの協力の賜物です。モデルさんも泣いてくれて本当に喜んでくれました。そしてあとから父も祝福してくれました。そのときは知りませんでしたが、父も泣いていたそうです。やはりこの時最高の思い出は 師匠の田中トシオ先生が自分のことのように流してくれた涙です。

「マイサロン・実践プロジェクト」

日本チャンピオンになった次の年、倉田は”髪ing”でテクニカルマネージャーに就任しました。そして、いろいろと考えた結果、マイサロンを作ることを決心したのです。ここにくるまで、正直、”髪ing”に残り”髪ing”を大きくしようという思いもありましたが、昔からの夢をかなえるべく、動くのでした。まずサロンを作るうえで一番大事なことは何か?

どういうサロンを創りたいかだと思います。

ターゲット層はどこか?

コンセプトは?

ここで大事になるのが5W1H(または2Hともいわれています)。

これは、WHYなぜ/WHATなにを/WHEREどこで/WHOだれ/WHENいつ/HOW MUCHいくらで/(HOW TO)どのように、まずこれを頭にいれて計画をたてるのでした。

「5W1H(2H)~WHY~」

5W1H(2H)のWHY(なぜ)についてです。

なぜサロンを開こうと思ったのか?

それは、前にも書いたとおり、この仕事が人に必要とされ喜ばれる仕事だからです。そのため自分でもサロンを開き、もっといろいろな人に喜んでもらいたいからだったのです。そして、よりかっこよくなりたいけどちょっと恥ずかしかったり、勇気がないミドルの世代の人たちを自分の手で変えていきたいと思ったからなのです。そういった中で、よりそうなりたい、旦那様をそうさせたいと思う人が多く住んでいるのが自由が丘近辺だと思ったのです。

「5W1H(2H)~WHAT、WHERE~ 」

次にWHAT(なにを)です。
やはりサロンではかっこいい、かわいい、というヘアスタイルを提供するとともに、お客様に癒し、安らぎを提供するということを念頭において、まったく新しい“理容”という形を考えたのでした。

次にWHERE(どこで)です。

サロンを開く場所です。考えたのは、だれでも知っている場所、ブランド力がある地名、アクセスしやすい場所、少し離れているところに住宅地がある場所です。そういったところを検証した結果、一番は自由が丘でした。しかし、後に書くのですが、自由が丘の物件は簡単にはみつからないのでした。

 

「5W1H(2H)~WHOM、WHEN~」

WHOM(だれを)です。

これはどこにターゲットを絞るかということです。やはり倉田的には20代後半~50代くらいの年齢層をメインターゲットとして捉えました。

次にWHEN(いつ)です。

これは2004年の夏を目途にオープン予定でした。いろいろな問題でかなり延期してしまうのですが・・・

と、ここまで5Wを説明しました。

「物件探し」

2003年の夏の暑い日でした。
倉田は自由が丘の地に降り立ちました。これから、自由が丘での不動産周りです。来年の春を目途に新店舗を探す旅でした。はじめに駅前の不動産に入り、その旨を伝えると、先すぎてあまりに軽い対応。そして自由が丘という他にはない土地柄、保証金の高さ、かなり大きなハードルに悩まされるのでした。しかし講習などの仕事の休みを利用して、なるべく自由が丘に足を運ぶのでした。知人に地元で有名な雑貨店のオーナーを紹介してもらい、その方に自由が丘の物件を多く取り扱っている不動産を紹介してもらいました。

これから、続く物件探しの苦難の道を進むのでした。