自由が丘、溝の口、関内、青葉台にあるメンズにオススメの
理容室・美容室・ヘアサロンならKEEN。

  1. トップページ
  2. KEENについて
  3. KEENが出来るまで

KEEN'S
PROCESS

KEENが出来るまでの道のりと
KEENへの想いを綴ったストーリーです。

「店長~新しい出発~」

仕事にも慣れ、”髪ing”4年目のとき、年は同じだが、2年先に入社した先輩が、”髪ing”6年目という異例の速さで日本チャンピオンになった。今度は年が一緒で2年先輩の日本チャンピオン、より身近な人間が日本一になった。これは今まで努力してきた思いが報われた結果だ。やはり環境のすごさに改めて感服させられた。
次の年、今までの配属の店長が総店長になり、またその先輩も日本チャンピオンを狙っていた。そして、入社1年目から「入社5年目で店長になる」と公言していた倉田はその目標が現実となり、ひばりが丘店店長に就任した。この年、前店長で現総店長の先輩は、全国大会で2位になったため、ひばりが丘店店長は歴代(倉田で4代目)、日本チャンピオン→日本チャンピオン→全国2位という輝かしい歴史を作っており、そのプレッシャーに襲われるのである。(歴代店長が日本チャンピオンばかりの店は普通はないのです)。しかし、気合十分である。売り上げも常に右上がりであり、店として順調にいっていたのです。

「逃亡~後輩の変身~」

店長になる2ヶ月前のことを話したいと思います。後輩で一生懸命仕事をしているものの、よく自分や店長から注意されるスタッフがいました。あるとき、寝坊をしてしまい“怒られる”と思い、そのまま逃走してしまったのです。近くを探したり、知り合いに電話をしたりしたのですが、やはりいないのです。そのスタッフの親も探したのですが、なかなか見つからず、半ばあきらめていました。しかし、1ヶ月後、親と一緒に帰ってきたのです。湘南の海を見つめながら「やはり自分はこの仕事が好きだ」と考え、この仕事をするには今いるところでしか自分は成長できないと彼は1ヶ月考え抜いた末、結論に到ったのでした。後輩も環境の大事さを身に染みて感じていたのでした。

後輩はその経験を生かし、コンテストで東京代表に選ばれたり、倉田のあとを継ぎ、ひばりが丘店店長に就任し、今では、後輩から慕われ、信頼の厚い店長となりました。彼は逃亡した自分の失敗談をしっかりと後輩に伝え、親身になって相談に乗るところが、尊敬されているのではないかと思います。

「スタッフへの愛情~厳しさがやさしさ~」

この頃、ひばりが丘店店長として更なるやる気にみちあふれていました。ひばりが丘店は自分が3年目の時、線路沿いから駅前に移転し、とても人通りの多い場所になったことでお客様が増えたのでした。やはり、立地条件は、大切なものだと感じていました。

店長として、やはり大事なことは スタッフのことをいかに大事に考えれるかということです。つまり、そのスタッフの将来まで考えて、教育できるかということです。しかし、これがまた難しいところで、倉田は結構厳しいので、あまりよく思わなかったスタッフもいたかも知れません。しかし、そんなことを考えていたら、スタッフは育ちません。だから、かなり厳しくスタッフには接していました。しかし、スタッフの誕生日には、サプライズバースデーをしていました。そのスタッフの誕生日を忘れたふりをして、一回帰ったふりをしてケーキを持って戻り、驚かせたりと、スタッフには愛情を注いでいました。

「新たなる挑戦~コンテスト~」

店長2年目となった入社6年目、歴代の店長が輝かしい歴史を歩んでいることに影響され、今年こそは自分も全国大会にいきたいと思っていました。その前年、初めて、全国までいける競技に挑戦したのですが、あっけなく散ってしまい、師匠の田中トシオ先生から、「俺がしっかりと一から教えるから、メンズ部門ではなく、レディース部門に出ないか!」と、違う部門を勧められました。“髪ing”では、先生を含め、全員がメンズのモデルで日本チャンピオンになっていて、自分もメンズの部門に挑戦するために”髪ing”に入ったのだから、一度は断りました。しかし、田中トシオ先生を信じて”髪ing”に入り、ここまで育ててもらい、その先生が自分のために、熱心に勧めるので、やっぱり師匠を信じようという気持ちになりました。そうして、レディース部門に転向するのでした。過去にメンズの基本部門などで優勝したことがあるので、倉田的には一大決心でした。そして、6年目に東京大会を迎えるのでした。

「モデルとの出会い~長い道のり~」

とうとう東京大会を迎えました。その年の3月にウィッグ(人形のこと)で一度、優勝はしていましたが、モデル競技はウィッグとは違い、そのモデルのくせや髪質、頭の形、全体のバランス、モデルの持っているイメージ、すべてを計算しなければなりません。つまり、日々のサロンワークと一緒です。来店されたお客様をきれいに、かっこよくさせること。違う点は、構想する時間が長くあることです。サロンワークでは、お客様が来店して、その限られた時間でお客様の満足をさせなければ、ならないからです。だから、コンテストはお客様を満足させることの練習なのです。
そのときのモデルは、お姉さんが翌日”髪ing”に来店するために、たまたま一緒にプライスを見にきたのでした。そのとき、偶然、彼女を見かけ、このモデルだ!と思い、声をかけたのでした。(このときはまだ、一緒に将来全国大会の表彰台の一番上に上るとは思いませんでした)。早速、その子にモデルになってもらい二人三脚の日々が始まるのでした。

「競技開始!! 」

それから 東京大会まで、モデルに合うスタイルを考えるのでした。モデルを見つけたのは大会の2ヶ月前なので、もうカットすることはできず、ぶっつけ本番でした。モデルの子にも前々から審査のときのポ-ズの練習をしてもらったりと、準備は万端なはずでした。当日、師匠の田中トシオ先生に言われたことだけを守り、無我夢中で競技に没頭するのでした。

競技をむかえるにあたり、まず大会に行くまでは繰り返し、何度も何度もイメージトレーニングの繰り返しで、そして6月ですが、手袋をして手がよく動くようにウォーミングアップをし、常に気をつけるのです。また、自分自身の体調管理も気をつけ、モデルの子の体調管理もしっかりするのです。

競技が終了し、審査のときです。ここからも自分の戦いではなく、モデルの戦いなのです。しかし、初めてのモデル体験なので、モデルさん自身練習したポーズが恥ずかしくて下を向いてしまい、あまりポ-ズが決まらなかったのです。そう思っても後の祭りです。少し落ち込みながら、モデルを迎えにいくのでした・・・。