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KEEN'S
PROCESS

KEENが出来るまでの道のりと
KEENへの想いを綴ったストーリーです。

「全国大会~愛媛大会までの道のり~」

次の年の東京大会がやってきました。このとき会場は東京ビッグサイトだったため、かなりの人が入っていました。すでに東京大会を3位で通過し、いざ関東甲信越大会!

関東大会では優勝を収め、ようようと愛媛の全国大会に臨むのでした。ちなみにこの関東甲信越大会に”髪ing”から出場した3人は、それぞれの部門で、優勝、優勝、準優勝を勝ち得たのです。同一店舗からこれだけの成績を出したことは今までない記録でした)。11月の第三月曜日、期待の全国大会愛媛大会がやってきたのでした。優勝する意気込みで・・・。

「2回目の全国大会~愛媛大会~」

とうとう愛媛の全国大会がやってきました。

この日はとても寒く、しっかり手を温めていなければ本番では動きません。

関東大会でも優勝し、「優勝しかない」と思っていた自分は、やり残すことはなく全力で競技に打ち込みました。自分では終わってみるとやはり反省点ばかりが目立ち自分の納得いく作品ではなかったのですが、周りはしっかりと評価してくれたので、自分と他人とのギャップの差に悩んではいましたが、だんだんと大丈夫かなという慢心が心に見え隠れしたのでした。

そして表彰式、ライバルとなるのは倉田の地元である神奈川の代表2人です。とても完成度が高く、「あ、これはまずいな」と思いました。「第3位、神奈川代表・・・」

「第2位、東京代表・倉田和俊」

「え!」・・・。

そうです。またしても2位なのでした。

「第1位、神奈川代表・・・」。そうです。関東大会で3位だった神奈川代表の選手に負けてしまいました。しかしこれは相手ではなく、自分の慢心や未熟さに負けたのです。表彰式では、やはり笑顔はなく、しかし大きな声で「ありがとうございました」といいました。(未熟な自分をわからせてくれた全国大会に感謝をこめて)。実は、この神奈川県選手団の団長は倉田の父が務めていたのです。

父にとって、選手団団長として神奈川の選手が優勝したことは喜ばしいことですが、親としてはさぞかし寂しかったのではないかと思いました。

東京の選手団で反省をし、師匠の田中トシオ先生に会った瞬間、とめどなく涙してしまいました。ただ、最後に師匠から言われたことは、「倉田、お前は悔しかったかもしれないが、あの場で『ありがとう』をいったことは、師匠として誇らしかったぞ」と。その言葉にまた涙がとめどなくあふれました。

先生は昔から、「コンテストで負けたとき、優勝した相手に拍手をおくり、そのことを忘れてはいけない」と常々言われていたので、相手を讃えること、感謝することを自分自身も忘れなかったからです。

次の日、松山空港で3位だった神奈川の選手と会いました。初めて話したのですが、「いつも倉田さんのお父さんには良くしてもらい、感謝しています」といっていただき、息子としても嬉しい限りです。そして、ふたりで来年また全国大会に帰ってこようと誓い合い、松山の地をあとにするのでした。そして、倉田の新しい1年の戦いが始まるのでした。

「全国大会~福井全国大会への道のり~」

次の年、とうとう東京大会がやってきました。新しいスタイルで望んだ東京大会。仕上がった作品には反省ばかり目立ち、とても自分の中では納得のいく作品にはほど遠く、これは微妙でした。

そして表彰式、気がつくと優勝していました。思いがけない優勝。心から喜べるわけでもなく、ただ、反省ばかりが目立つ作品。しだいに自分の中の自信がなくなってくるのがわかりました。そして、師匠の田中先生も「ここからはひとりでやりなさい」という言葉が。自信があるときならいざ知らず、かなり自分のなかのコンテストという壁が高くそびえたっているのでした。そこには2年連続準優勝した面影などこれっぽっちもなかったのです。

「全国大会~福井全国大会への道のり2~ 」

そしてやってきた関東甲信越大会。自分自身も自信をなくし、作品にも勢い、覇気がない作品で、これでいいのかという考えの中、競技スタート。終わってみれば最悪の作品。結果は当たり前のごとく、初めて賞にも絡まず、ただ悶々とする一日でした。そして夏休みも例年通り練習をし、秋がやってきました。大会一週間前から全国大会合宿です。モデルを多く集め、セットし、カットもしたが、まだ煮えきらない自分が存在しているのでした。

このとき、最近まで突き放していた師匠の田中トシオ先生が倉田にいった言葉。

「お前は自分で自分の夢をあきらめるのか」

そうです。このときはじめて気づいたのです。今自分に欠けているものそれは初心です。この2年、賞に入るのが当たり前になってきて、賞に入らなければいけないとか、自分が結果を残さなければダメだとか、そういう邪心が心に深く根付いていたのです。

しかし、開き直ることができました。ダメでもいい、精一杯のことをすれば、結果はどうでもいいと、そう思えるようになったのです。それから心が軽くなり、大会1週間前にようやく作品のデザインが決まり、はじめの無我夢中の頃を思い出すのでした。

「全国大会~福井大会~」

とうとう日曜日がやってきました。この日、東京選手団は集合して福井の地に降り立ちました。まずホテルに立ち寄り、それから、決戦の地、鯖江市にあるサンドーム福井にやってきました。いつものように会場の雰囲気にのまれないように、明日ここで行う競技をイメージトレーニングしつつ、この会場を後にするのでした。ホテルに帰ってから、夜中までモデルさんにカラーの仕込みをして、ゆっくりとリラックスしてもらいました。

その日の夜、東京の全体練習が終わったあと、倉田がはじめて買ったハサミメーカー(内山シザース)の社長さんから紹介していただいた地元の理容室を借りて、夜中の3時まで、先生と一緒に仕込みをするのでした。心・技・体すべてが充実していて、かなりやる気にみちあふれていました。そして、数時間の睡眠の後、とうとう運命の時がやってきたのでした。

「全国大会~福井大会2~」

とうとう運命の朝がやってきました。区切りのいい3時間睡眠で気持ちも身体も充実しており、「これからやるぞ!」という気持ちになっていたのでしたが、昨日から今いち体調の悪かったモデルさんが朝になっても咳が止まらない状態でした。しかし、モデルさんも薬を飲み、大会に望むのでした。

そして会場入りし、手には手袋をし、頭の中では常にイメージトレーニングを欠かさず、大会が始まるまで今までにないほどの気負いがない状態でした。

そして競技開始・・・。

なんと始まるまで咳をしていたモデルさんの咳が止まりました。そして競技に無心な気持ちで望むことができ、自然と時間は流れ、終了の合図とともにやり切れた気持ちが沸いてきました。審査時間中もモデルさんは咳をすることなくはじめのころとは違う堂々としたモデルとなっていました。自分も成長しているが、モデルの子も気がつけば成長しているのだなと、つくづく思いました。そして、1年前と違い、周りの評価にも自分の気持ちは変わることなく、自然体でいれるのでした。

そして、運命の表彰式へ・・・。