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「2回目の全国大会 」
とうとう愛媛の全国大会がやってきました。この日はとても寒く、かなり手を温めていなければ本番では動きません。関東大会でも優勝し、優勝しかないと思っていた自分はもちろんやり残すことはなく全力で競技に打ち込みました。自分では終わってみるとやはり反省点ばかりが目立ち自分の納得いく作品ではなかったのですが周りはしっかりと評価してくれたので、自分と他人とのギャップの差に悩んではいましたが、だんだんと大丈夫かなという慢心が心に見え隠れしたのでした。

そして表彰式、ライバルとなるのは倉田の地元神奈川の代表2人です。とても完成度が高く、あ、これはまずいなと思いました「第3位、神奈川代表…」「第2位 …東京代表 倉田和俊」「え!」…そうです。またしても2位なのでした。「第1位、神奈川代表…」そうです。関東大会で3位だった神奈川代表の選手にまけてしましました。しかしこれは相手ではなく、自分に慢心や未熟さにまけたのです。表彰式では、やはり笑顔はなく、しかし大きな声で「ありがとうございました」といいました(未熟な自分をわからせてくれた全国大会に感謝をこめて)
閉会式が終わり、実はこの神奈川県選手団団長が実は倉田の父だったのです。
選手団団長として神奈川の選手が優勝したことは喜ばしいことですが、親としてはさぞかしさみしかったのではないかと思いました。東京の選手団で反省をし、師匠の田中トシオ先生に会った瞬間、とめどなく涙してしまいました。ただ、最後に師匠からいわれたことは、「倉田、お前が悔しかったかもしれないが、あの場でありがとうをいったことは、師匠として誇らしかったぞ」その言葉にまた涙がとめどなくあふれました。昔から、コンテストで師匠は負けたとき、優勝した相手に拍手をおくり、そのことを忘れてはいけないと常々いっていたので、相手を讃えること、感謝することを自分自身も忘れなかったからです。次の日、松山空港で3位だった神奈川の選手と会いました。初めて話したのですが、「いつも倉田さんのお父さんには良くしてもらい、感謝しています」といっていただき、息子としても嬉しい限りです。

そして、ふたりで来年また全国大会に帰ってこようと誓い合い、松山の地をあとにするのでした。そして 倉田の新しい一年の戦いが始まるのでした。 
「福井全国大会への道のり 」
次の年、とうとう東京大会がやってきました。新しいスタイルで望んだ東京大会。かなり仕上がった作品には反省ばかり目立ちとても自分の中では納得のいく作品にはほど遠く、これは微妙でした。

そして表彰式、気がつくと優勝していました。思いもがけない優勝。心から喜べるわけでもなく、ただ、反省ばかりが目立つ作品。しだいに自分の中の自信がなくなってくるのがわかりました。そして、師匠の田中先生も「ここからはひとりでやりなさい」という言葉が。自信があるときなら いざ知らず、かなり自分のなかのコンテストという壁の障害が高くそびえたっているのでした。そこには 二年連続準優勝した面影などこれっぽっちもなかったのです。
「福井全国大会への道のり2 」
そしてやってきた関東甲信越大会。自分自身も自信をなくし、作品にも勢い、覇気がない作品で、これでいいのかという考えの中、競技スタート。終わってみれば 最悪の作品、結果は当たり前のごとく、初めて賞にも絡まず、ただ悶々とする一日でした。そして夏休みも例年通り練習をし、秋がやってきました。大会一週間前から全国大会合宿です。モデルを多く集め、セットし、カットもし、まだ自分の中で煮えきらない自分が存在しているのでした。

このとき、最近まで突き放していた師匠の田中トシオ先生が倉田にいった言葉。「お前は自分で自分の夢をあきらめるのか」そうです。このときはじめて気づいたのです。今自分にかけているものそれは初心です。この2年、賞に入るのが当たり前になってきて、賞に入らなければいけないとか、自分が結果を残さなければだめだとか、そういう邪心が心に深く根付いていたのです。そして開きなおることができました。だめでもいい、自分の精一杯のことをすれば、結果はどうでもいいと、そう思えるようになったのです。それから心が軽くなり大会一週間前にもかかわらずようやく作品のデザインが決まり、はじめのころの無我夢中のころをおもいだすのでした。          
「福井の全国大会 」

とうとう日曜日がやってきました。この日、東京選手団は集合して福井の地に降り立ちました。まずホテルに立ち寄り、それから、決戦の地、鯖江市にあるサンドーム福井にやってきました。いつものように会場の雰囲気を感じ会場にのまれないように明日ここで行う競技をイメトレしつつこの会場を後にするのでした。ホテルに帰ってからは、モデルさんにはこの日の夜、カラーの仕込みをして、夜中までかかるので、ゆっくりとリラックスしてもらいました。

その日の夜、東京の全体練習が終わったあと、倉田がはじめて買ったハサミ(内山シザース)の社長さんから紹介していただいた地元の理容室を借りて、夜中の三時まで 先生と一緒に仕込みをするのでした。心・技・体すべてが充実していて、かなりやる気にみちあふれていました。そして、数時間の睡眠の後、とうとう運命の時がやってきたのでした

「福井の全国大会2 」
とうとう 運命の朝がやってきました。区切りのいい三時間睡眠で気持ちも身体も充実しており、これからやるぞという気持ちになっていたのでしたが、昨日から今いち体調の悪かったモデルさんが朝になっても咳が止まらない状態でした。しかしモデルさんも薬を飲み、大会に望むのでした。

そして会場いりし、手には手袋をし、頭の中では常にイメージトレーニングを欠かさず、大会が始まるまで今までにないほどの気負いがない状態でした。そして競技開始、なんと始まるまで咳をしていたモデルさんの咳が止まりました。そして競技に無心な気持ちで望むことができ、自然と時間は流れ終了の合図とともにやり切れた気持ちが沸いてきました。審査時間中もモデルさんは咳をすることなくはじめのころとは違うどうどうしたモデルぶりでした。自分も成長しているがモデルの子も気がつけば成長しているのだなと、つくづく思いました。そして、一年前と違い周りの評価にも自分の気持ちは かわることなく、自然体でいれるのでした。そして、運命の表彰式へ…  
「福井の全国大会3 」
表彰式がやってきました。すぐ横には師匠の田中トシオ先生がおり、先生から貸してもらっていた師匠が世界チャンピオンになったときのお守りを、ずっと握っていました。そして第一部門がおわり、とうとう第二部門です(倉田が出場している部門)。まず敢闘賞から呼ばれ、残るは あと三人。去年の帰り来年も一緒に全国大会に来ようと誓った神奈川の選手ともうひとりも神奈川の選手、この二人が この時いい作品を作っており、最後に呼ばれろとおもっていました。
第三位「神奈川代表…」
第二位「神奈川代表…」
でも最後までわかりません。もしかしたら自分ではなく、他の人かもしれないのです。

優勝は「東京代表 倉田和俊!!!!」

その瞬間、隣にいた先生と抱き合いました。生まれてはじめて一番になれた瞬間でした。とても大変であった3年間が走馬灯のように駆け巡るのでした。つらいこと、嬉しいこと、すべてのことが喜びにかわる瞬間でした。いろいろな人の祝福、去年とは違う表彰台の高さ、そこから見る観客席、スタッフがみんな喜んでくれて胴上げしてくれました。今ここにいるのはまさしく師匠の田中先生をはじめ、スタッフ、モデルさん、いろいろな人たちの協力の賜物です。モデルさんも泣いてくれて本当によろこんでくれました。そしてあとから父も祝福してくれました。そのときは知りませんでしたが、父も泣いていたそうです。やはりこの時最高の思い出は 師匠の田中トシオ先生が自分のことのように流してくれた涙です。   

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・KEEN店名の意味
K…kind/親切に…
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E…emotion/感動を…
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・ロゴマークの意味
蝶とハサミをモチーフに抽象的に表現しました。蝶には KEENに来店していただいたお客様がさなぎから変化し、優雅に羽ばたいていくイメージと、鏡に映ったシンメトリーなイメージ投影することから引用しています。ハサミはこの業界に入り、初めて購入したハサミであり、今でも使用している
思い出深いものです。そのハサミのシルエットを蝶の持つ優雅な意味のなかに融合しました。